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実名を晒すということ

西村博之氏という存在: たけくまメモより
関連して実名の話。

俺にとって、昔からどうにも不思議なのは、「実名」を晒すことを、多くの人が過剰に恐れすぎているんじゃないかということです。

リスクから言えば住所>実名>顔写真>電話番号の順に低くなる。何かあったら電話番号は変えればいいし、実名は誹謗中傷くらいかな。どっちかと言うと過去を詮索される方がダメージがでかいだろう。顔写真は・・・まあ年月経てば顔も変わるし、顔写真晒している人と実際に会ってみたら写真のイメージと違ってたりすることもしばしばなのであんまり気にならないかな。住所は知られると自分以外の家族が危険に晒される危険性があるので可能ならここだけは守りたい。はてな住所登録問題でごたごたしたのは何年前だったか。
そういう実害を恐れている面も確かにあるけれどもそれは全体の一部であって、なんと言っても一番大きいのは「実名を晒す必要性がない」ってことでしょう。ハンドルネームは実名を隠匿するためだけに使っているわけでは無いのです。ハンドルで別名をかたることによってオフラインとは違う自分というのも楽しみたい訳ですよ。実名をかたらないことを俺はそんなにネガティブな意味に捉えてません。
あとまあ、一度流れたものが後から回収することは不可能だというのはテレビのニュースでも繰り返し言ってることです。国のエライ人がういにーういにー言っててうるさいです。晒す事によるデメリットは現状は実害が無くても、将来的にどうなるか分からないです。一度流したものが回収できない以上自衛するのは当然のことで、この辺が「竹熊健太郎」という著者名で作家活動されている竹熊先生とは基本的にスタンスが違うところですね。言われてみれば「竹熊健太郎」が、実名かペンネームか今の今まで気にしたことなかったですし。

実名だろうが匿名だろうが、他人に非難されるようなことを書かなければいいだけの話なんじゃないでしょうか。

いやぁ、でも非難されるようなテキストこそ読みたいんですけどね。あと書き手側としては「非難されたい」願望ってのはあると思いますよ。特に何年もネットでテキスト書いているような人だとどんな想定外な非難が来るだろうとわくわくしながら書いてたり。
というか、まさに俺の中の松永英明像はそういうイメージだった。逆に古参テキスト書きは相当図太いからこそずっとやっていけてるんだよな。

あの「世界最大の匿名掲示板」の管理人が、自らは「実名も住所も携帯番号」も公開しているということの意味を、みんなもっと考えたほうがいいのではないでしょうか。

昔から実名も住所も電話番号も晒しているのはキチガイってのが定石なんですけどね。ひろゆきはそこを逆手にとってるんだと思ってました。「個人情報を晒していても実害はほとんど無い」というのは昔からひろゆきも繰り返し言ってた事ですしね。